上辺だけの言葉も、熟慮の上の台詞も、全て戯言?
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嗜好というものは年齢と共に変わり行くものなのですね。
初めて金閣寺を読んだのは中学生の時(だったと思う)。
そのときは、途中で挫折して、そのまま返却したんだと思う。
ふっとそれを思い出して書店で購入。
何の抵抗もなくさらりと読めましたよ~。
時間がなかったり持ち歩く本を忘れたりして時間だけはえらくかかりましたが。
こんな事件が本当にあったなんて、信じられないですね。
しかし、何百ページもかけて少年の心理が描かれているのに、結末はたったの数ページで終わってしまうなんて。
ある意味ものっそい現実的です。
ちょっと前に『潮騒』を読んだばかりだったので、なんだか妙な安心感を抱きました。
「ぁぁ、やっぱり三島はこうでなくっちゃ」
というか何と言うか。
『潮騒』は“三島”を期待して読むとちょっとピュアすぎるのです。
(でも好きですけどね。)
近代文学は素晴らしい!
三島由紀夫・太宰治・夏目漱石は素敵です。谷崎も嫌いじゃないです。
折角嗜好が変わってきたのだから、もっと色んなジャンルに手を出したいものです。
―印象に残った台詞?―
「裏に向ひ外に向つて逢着せば便ち殺せ」
「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、初めて解脱を得ん。物と拘はらず透脱自在なり」
昔読んだ漫画に出てきたなぁ。なんて懐かしんでみたり。
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